花束みたいな恋をした @nero

3.0
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こんにちは。neroでございます。本日は菅田将暉さん、有村架純さん主演の恋愛映画「花束みたいな恋をした」を鑑賞してきました。

neo様が別記事の中で事細かにシーンを振り返ってくれているので、私は自由に感じたことを書いていきたいと思います。

※以下ネタバレを含みます。

邦画の恋愛ものは、「頭の中お花畑」「そんな子おるわけなかろう」な理想的な恋愛像を見せられている気分になり、個人的に苦手意識のあるジャンルでした。この映画は、現実の恋愛のめんどくささや悲しい一面を丁寧に取り上げていて、共感しながら鑑賞できました。

マッチング率100%!な始まりはさすがにご都合主義観否めませんが、そこは映画補正と割り切ればあとはリアリティのあるいい恋愛映画でした。

学生の恋愛は自由で、将来を強く意識する必要もなくとにかく楽しんだもん勝ちです(暴論)。麦(菅田将暉)と絹(有村架純)も、大学を休んでひたすら二人の時間を楽しんでいましたねえ。。。学生はそれでいいんですよたぶん。

社会人になると多くの現実と直面します。働いて収入を得ないと生活していけません。麦と絹も、紆余曲折ありながらも結局はそれぞれ就職し、仕事をしていくことになります。

麦と絹の仕事に関する価値観の違いが印象的でした。絹は、「仕事も楽しみたい」、「自分が前向きに働いていける」ことが理想であり、それが収入の大小よりも大切だという考えを持っていました。これに対して麦は、「仕事は収入を得るためのもの」、「趣味の延長であったり、楽しんで稼いでいくことは理想論だ」と考えていました。絹が病院の事務係を退職し、知り合いのイベント会社へ転職することを知った麦は、「そんなの趣味じゃん」的なことを吐き捨てます。正直気持ちはわからなくもないです。男の人は自分が家庭を支えるという責任感を抱いているので、仕事を楽しむことよりもいかにして収入を得るかがマストだと考えています。(私もそうです。。。)

二人で生活していくために仕事をしていたはずなのに、仕事に忙殺されるうちに目的を見失ってしまっていました。このあたりから既に二人でうまくいく未来はなかったと思います。

麦には、絹との関係を改善する道が何度もありました。いつしか読まなくなった「ゴールデンカムイ」を絹から勧められたときや、二人がよく通っていた老夫婦の経営するパン屋が閉店してしまったときなど、絹と心を通わせるチャンスがあったのです。しかし麦はこれらの可能性に気づくことができませんでした。

二人の関係が限界に近づき、知り合いの結婚式後、昔よく通ったファミレスで二人の将来について話し始めます。そして、偶然近くに座った見知らぬカップルの会話に二人は昔の幸せだった自分たちを重ねて涙します。このとき、二人が抱いていた感情が全く逆方向だったことが印象でした。

絹は見知らぬカップルに自分たちを重ねたことで、「あの幸せな時間はもう帰ってこない」と感じ別れを強く意識し、逆に麦は「あの幸せだった時間を失ってはいけない、二人で生きていきたい」と二人の関係に未練を感じていたように思います。見知らぬカップルのおかげで自分たちの本当の気持ちに気づけた二人ですが、二人は別れることとなりました。

時が流れ、二人はそれぞれ別の人と付き合っていましたが、偶然にも町のカフェで再会します。帰宅後、二人はそれぞれ付き合っていたころの二人を回顧するのですが、絹は「あんなこともあったな」と良い思い出としてすでに昇華しているのに対し、麦はどこか絹への未練を断ち切れていないような印象を抱きました。その後の二人については映画の中で明記されていませんでしたが、よりを戻し、二人が一緒になることはまずないだろうと感じました。

自分が男だからか、麦の行動や振る舞いに共感する場面も多く、寂しい気持ちになりました。。。

恋愛と仕事、すれ違いなど、いつか自分も同じような局面に陥るのかな?、自分ならどうするだろうかとどこか考えさせられる映画でした。

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