スタンド・バイ・ミー @neo

4.5
スタンド・バイ・ミー @neoアイキャッチ画像

こんばんは、neoです!

本日の映画は1986年公開の大ヒット映画「スタンド・バイ・ミー」(原題/STAND BY ME)。

ほとんどの方はタイトルを聞いたことがある、タイトルは知らなくてもBen E.キングが歌う主題歌は耳にしたことがあるのでは?と思うくらい超有名作な超名作。
私も大好きな作品です。

さっそく感想を綴りたいと思います!

舞台は1980年代アメリカの田舎町キャッスルロック(架空の町)。4人の少年がひょんなことから死体探し(!)の冒険に出て帰宅するまでを描く、ひと夏の思い出…かと思いきや実はそれは大人になった主人公の回想物語なのです。

この映画の素晴らしいところはたくさんあるのですが、今回の記事では主要4人のキャラクターとその関係性に注目します。

ゴーディ…この物語の主人公。頭が良くてお上品。尊敬していた兄が亡くなったこと、父親が自分に期待していないことなど家族関係で心に闇を持つ。

クリス…みんなのリーダー的存在。非常に男気があり勇敢。頭は良いのだが、家が貧乏で自分の将来を諦めている。不良の兄がいる。

テディ…ぶっとんでいる。思考も行動もぶっとんでいる。変わり者で空気を読まないただのやばいやつかと思いきや父親のことで相当な傷を抱えている。

バーン…いじられキャラで臆病。単純で難しいことはわからない、この中である意味一番年相応な少年かもしれない。

最後にゴーディによって明かされるのですが、実はこの4人、別に一生の親友とかそういうわけじゃないんです。ゴーディが大人になっても連絡を取ったりしたのはクリスだけだし、そのクリスとも頻繁に会ったりする仲ではない。

4人で仲良かったのは12歳まで、つまり小学校を卒業すると友情は薄れてそれぞれの人生を歩んでいるんですよね。

少年時代の、とある一時期を共に過ごした仲間。
ここがこの作品の切なさを濃くしているポイントだと思います。

そこについて深掘りしていきます。

ポイント1「個々の違い」

小学校時代の友達と大人になっても永遠に続く、しかもグループでってなるとかなり稀なパターンだと思います。

この頃のアメリカの教育制度などはわからないので現代の日本に置き換えてみると、小学校で仲良い子がいても中学で別の小学校から来た子たちが混ざってきて新しい友達が増える、中学で仲良い子がいても高校受験でバラバラになり高校でより似た人たちと出会い友達になる、高校で仲良い子がいても大学受験で…というふうに、環境が変わることで付き合う人間も変わることって誰しもが経験しますよね。

特に小中学校は地域別で分けることが多いのでいろんなタイプの子がぎゅっと同じ枠に入れられるけど、高校以降は自分が選んだ進路だから自然と似た人の集まりになっていく。そう考えると価値観や生活面などが1番多様な集団が小学校ってことになりますよね。

ゴーディたち4人は社会人同士で出会っていてもきっと友達になっていないけど、出会ったのが小学校だったから実現できた4人グループなんだろうと思います。

ポイント2「少年時代」

時間としては一時期でも、この時代のことは強烈に自分の中に残りやすい。

人間って、新しいことをする1日は脳が記憶しようとするから長く感じるらしいです。例えば初めて見た動画と、2回目以降同じ動画を見たときって、初めて見たときのほうが感覚的に長く感じますよね。

大人になると時間が早く過ぎるように感じるのは新しい体験が減っていて、同じことの繰り返しは脳が省略するようにできている…みたいなことを読んだことがあります。

自分たちの暮らす町を離れ、しかも子供4人だけの冒険。冒険の内容や日数はどうであれ、確実に何か特別なものとして自分の中に残りますよね。

ストーリーも秀逸ながら、少年時代ならではの好奇心・希望・失望・悩み事などがリアルに描かれていることで、誰しもが共感を覚えやすい。過去に思いを馳せもう二度と戻れない時代を感じ、懐かしさや切なさが胸に残る。そんな映画です。

コメント